2010年 8月 22日
大井川水域3つの河童伝承
上流
●蜘蛛に化けた河童(川根本町)
昔一人の男が栗代川の「りゅうごんの淵」で山女を釣っていると、淵の中から蜘蛛が出てきて何度も草履に糸を掛けて戻っていった。そこで男はその糸を草履から外して傍らにあった枯れ木に結び付けておいた。しばらくすると淵の中から「それ引けっ」という声が聞こえて、結び付けておいた枯れ木は淵の中に引き込まれていった。
男はゾッとして釣った魚を投げ出して山を駆け登った。山を駆け上った小ぼつに腰を下ろして栗代川を見下ろした。その時からその小ぼつを「うれしやすんど(嬉し休み所)」と呼ぶようになった。
男に糸を掛けた蜘蛛は、河童が化けたものだったということである。
※「りゅうごんの淵」は現在川根本町でもどこであったのか分からなく成っている。また、川根本町の「おけさ淵」にこの話に類似した水怪の話がある。なお、その「おけさ淵」も現在どこの場所か分からなく成っている。
中流
●河童の川流れ(金谷・島田)
江戸時代、大井川河童は川越人足たちと仲がよく、分け前を貰っていたので、仕事を邪魔しない事になっていた。
ある時、中国地方の大大名が参勤交代で大井川にまで来た。彼らは川越人足を使わず、前に並んでいた中小大名を押しのけて、自分たちだけで、大井川を渡ろうとした。しんがりの箱を持っていた強力たちもそこに着いていった。大井川河童たちはいつもの川越人足たちと違う匂いだったので悪戯しても良いだろうと考えた。そして箱の中にはすごい宝物があるに違いないとを強力たちを襲った。強力たちの足を引っ張り転ばせ、箱は川に流された。河童たちは見事に箱を奪ったのだ。そしてこの大名の半数は命からがら岸にたどり着き、半数は戻ってこなかった。
しかし、河童が宝物だろうと考え奪った箱の中身は、粗末な雨具の合羽すぎなかった。
この話は川越人足たちにとって自分たちの仕事が守られる都合が良い話だったので、積極的に広めた。そして「河童も川で失敗する」という笑い話として江戸にまで伝わったのだ。『河童の川流れ』の元になった話しである。
下流
●石津の水天宮(焼津)
大井川の奥で切り出された材木は大井川の河口に運ばれていたが、元禄元年に島田市高島に水門が開かれた為、木屋川を通って小川港にも運ばれるように成った。
ところがこの水門が開かれたことによって、大井川に住んでいた河童が小川港までやってきて、さまざまな悪戯をするように成ってしまった。
しかし、焼津市石津に福岡県久留米市から分霊された「水天宮」が奉られるようになってからは、大井川河童もびびってしまい、ひどい悪戯は行わなくなった。
『河童伝承大事典』 和田寛編 岩田書院 より抜粋